2010年04月11日(日)
静岡ぶらり町散策B
こんにちは
本日のスタート地点『浮月楼』、ここはかつて幕府の代官屋敷で、明治2年に謹慎が解けた元15代将軍・徳川慶喜が閑居することになった場所です。このときの慶喜はまだ33才、3千坪もある当時の代官屋敷も、元将軍には手狭に感じられ、土地を広げ、京都の庭師・小川治兵衛に庭を作らせました。そのほかにも、慶喜はこの場所に鷹匠を呼んで放鷹に夢中になったり、「将軍をやめてよかったと思うのは油絵を描いているときだ」というほどに油絵を描いておりました。

静岡で初めて自転車に乗ったのも慶喜といわれ、前輪が極端に大きい初期の自転車を器用に操って駿河の町を行き来してました。そんなある日、洋傘をさした女性に気を取られてハンドルを誤り、商店の店先に飛び込んだという伝説が残ったりもしています。
そんなお気楽な生活をしている慶喜に口うるさく小言をいったのが、勝海舟。海舟としては、何とかして徳川家を存続させようと翻弄し、無血開城、大政奉還にこぎつけたにもかかわらず、当の慶喜がこれでは、と静岡に何度か来たそうです。但し、その度に慶喜は素早く横町に隠れたといいますが、、、。
さて、浮月楼を後にして、常磐公園に向かって歩いていくと宝台院が見えてきます。この宝台院は家康の側室で2代将軍・秀忠の実母、西郷局の菩提寺です。門を入ると左手にその五輪塔があり、脇に「徳川慶喜公謹慎の地」の石柱があります。浮月楼に閑居する前の1年間、この宝台院で慶喜は謹慎生活を送っていました。

静岡の町は、1940年の大火と1945年の空襲でほとんどが消失しているため、この宝台院もモダンな建物ですし、戦後に都市計画も積極的に行われたため、古い建物や町並みがありません。
次回は、静岡市の都市計画の中心、青葉通りからスタートしましょう。
*************************
徳川15代の中で、犬公方として悪名高い5代将軍綱吉も、今のペットブームをみたらどんな顔をするのでしょう。
ペット同居専用機能のついた賃貸マンション

ペットと快適に過ごせるための機能が充実です。

それでは
本日のスタート地点『浮月楼』、ここはかつて幕府の代官屋敷で、明治2年に謹慎が解けた元15代将軍・徳川慶喜が閑居することになった場所です。このときの慶喜はまだ33才、3千坪もある当時の代官屋敷も、元将軍には手狭に感じられ、土地を広げ、京都の庭師・小川治兵衛に庭を作らせました。そのほかにも、慶喜はこの場所に鷹匠を呼んで放鷹に夢中になったり、「将軍をやめてよかったと思うのは油絵を描いているときだ」というほどに油絵を描いておりました。

静岡で初めて自転車に乗ったのも慶喜といわれ、前輪が極端に大きい初期の自転車を器用に操って駿河の町を行き来してました。そんなある日、洋傘をさした女性に気を取られてハンドルを誤り、商店の店先に飛び込んだという伝説が残ったりもしています。
そんなお気楽な生活をしている慶喜に口うるさく小言をいったのが、勝海舟。海舟としては、何とかして徳川家を存続させようと翻弄し、無血開城、大政奉還にこぎつけたにもかかわらず、当の慶喜がこれでは、と静岡に何度か来たそうです。但し、その度に慶喜は素早く横町に隠れたといいますが、、、。
さて、浮月楼を後にして、常磐公園に向かって歩いていくと宝台院が見えてきます。この宝台院は家康の側室で2代将軍・秀忠の実母、西郷局の菩提寺です。門を入ると左手にその五輪塔があり、脇に「徳川慶喜公謹慎の地」の石柱があります。浮月楼に閑居する前の1年間、この宝台院で慶喜は謹慎生活を送っていました。

静岡の町は、1940年の大火と1945年の空襲でほとんどが消失しているため、この宝台院もモダンな建物ですし、戦後に都市計画も積極的に行われたため、古い建物や町並みがありません。
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